「そんなつもりはなかった」「誤解を招いたとしたらお詫びいたします」――そんな政治家の常套句に「またか」と覚える脱力感。気鋭の言語哲学者・藤川直也さんの『誤解を招いたとしたら申し訳ない 政治の言葉/言葉の政治』(講談社)は、こうした現状に危機感を覚え、彼らの発言の何が問題なのかを明らかにしつつ、コミュニケーションの真理を探る一冊だ。藤川さんに本書に対する思いを聞いた。
言葉の責任を軽視する政治家が目に余る!
――本書を書いた理由から教えていただけますか。
藤川直也さん(以下、藤川):大きな理由のひとつには、言葉の責任を軽視しすぎたり、発言の責任をうやむやにしようとしたりする政治家の姿勢が目に余るというのがあります。代表的なのはトランプ米大統領。彼は以前から言葉の責任を蔑ろにしたり、全然根拠のないことを言ったりする人で、先日もゼレンスキー大統領を「独裁者」呼ばわりして、後で「そんなことを言っただろうか」とか支離滅裂で無茶苦茶な発言をしていました。「フェイクニュースだ!」「選挙が盗まれた!」といったデタラメを撒き散らして政治を動かしていくトランプ氏の台頭に、アメリカの哲学者たちは危機感を持って最近は「応用言語哲学」という分野が盛んになってきています。
なにもこうした現象はアメリカだけではありません。日本では政治家が「そんなつもりはなかった」「誤解を招いたとしたらお詫びいたします」と口にして、もともとの発言が意味したことをなかったことにしようとしたり、「広く募っていたが募集していない」と言葉の意味を捻じ曲げてまで発言の責任を回避しようとしたりしています。時の総理がオリンピックの前に「安心・安全な大会の実現を目指す」と言っていましたが、「安心・安全」の基準は明らかにしないままでした。これも言葉の責任をうやむやにしようとする姿勢の現れといえるでしょう。
そうした振る舞いが溢れる現状をどう考えるのか――それは私には言語哲学者として取り組むべき課題に思えました。危機感はありますが、こうした言い訳を大の大人が堂々と口にし、時にそれがまかり通ってしまうことに対する不思議さが考察の導き手となり、結果的に、こうした政治家の言い訳を批判的に捉える基本的ツールにもなったと思います。