ダ・ヴィンチWeb - ワラウ

「成長」「発展」しない生き方、ダメですか? 無意識に礼賛していた「やりがい信仰」を揺さぶる、朝井リョウ『生殖記』【書評】

  • 「人生は死ぬまでの暇つぶし」という言葉があるけれど、目標ややりがい、推し活みたいな娯楽を見つけて、人生を謳歌するため努力を重ねなければ、ほとんどの人は退屈で心が死んでしまう。でもときどき、いったい何のためにこんなに頑張っているんだっけ、と我に返るときがある。意味があろうとなかろうと、“今”に幸せを感じてただ生きているだけで十分であるはずなのに、私たちはいったい何の“成果”を求めて走り続けているのだろう。そんな根源的な問いを、朝井リョウさんの小説『生殖記』(小学館)を読むと、突きつけられる。


    物語の中心人物は、電機メーカーの管理部門で働く尚成(しょうせい)という男性だ。いわゆるマイノリティに属する彼は、子どもの頃から生きることに“しっくり”こなくて、それが周囲に露見して排除されるのもいやだから、社会になじむように擬態を重ねて生きてきた。学校でも、会社でも、どんな共同体でもうっすらと強要される、成長だの発展だのといった、未来につながる意欲的な姿勢に、尚成は興味がない。どうにかその場を上手にやりすごして、自分の生が脅かされないこと。それだけが、彼の生きる目的である。

    続きを読む