川西賢志郎『はじまりと おわりと はじまりと―まだ見ぬままになった弟子へ―』/笑いの包容力

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お笑いコンビ“和牛”のツッコミとして時代を駆け抜けた男・川西賢志郎。
2024年の“和牛”解散後に初めて語る、漫才のこと、これからのこと。「M-1グランプリ」で準優勝するまでの道のり、人気絶頂で多忙な中でも年間500ステージをこなす芸との向き合い方、そして次に目指す笑いとは――。
発売即重版した、漫才師としての区切りを自らつけるためのエッセイ『はじまりと おわりと はじまりと ―まだ見ぬままになった弟子へ―』から一部抜粋してお届けします。
※本記事は書籍『はじまりと おわりと はじまりと ―まだ見ぬままになった弟子へ―』(川西賢志郎/KADOKAWA)から一部抜粋・編集しました
⑨笑いの包容力
※書籍の収録順とは一部異なります
笑いの素晴らしいところは、何でも笑いに変えられることだと思う。例えば、容姿・生い立ちの不幸・社会における立場など、笑いに変えていくことで芸人にとってはむしろ武器となり得る。時には誰かへの中傷と取れるような発言であっても、そこに関係性や愛があったり、または自分なりの主張を通すための覚悟があれば、それもまた笑いにできる。近年はしきりにコンプライアンスが叫ばれる世の中になったことで、笑いへの規制が厳しくなった。とはいえこれはテレビなど不特定多数の人の目に晒される土俵において、とくに取り締まられていると言っていい。実際に漫才のネタ番組に出演するにあたっても、その内容に不適切な題材や表現はないか事前にチェックされることがいつの頃からか増えたが、劇場や寄席ではそんなことはしない。だから、本来は笑いにしてはいけないものなんてないと僕は思っている。