ラーメンは救い/絶望ライン工 独身獄中記㊷

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東神奈川駅で降りる。
いつぶりだらうか、横浜にある小さな町は相変わらずの絶望感だ。
改札を出て2階広場、立呑み龍馬が「こっちぜよ」と呼んでいる。
龍馬は新宿歌舞伎町にもあり、会津から高速バスで東京に通っていた頃はよく利用していた。
龍馬で紅生姜串とホッピーセットで散々粘り、天一を食べてカプセルホテル「グリーンプラザ」に転がり込む。
残念ながら、新宿のグリプラは数年前閉館となったらしい。
笑えるくらいド貧乏だった頃、会津と東京を繋いでくれたのは高速バス「夢街道会津號」とグリプラである。
当時ミュージシャンごっこをしていた自分は、呼ばれれば喜んで東京に馳せ参じた。
仕事はDJだったり、アレンジだったり、録音だったりと何でもやった。
茶封筒に取っ払いでもらった僅かなギャラは、その夜の龍馬と宿代に消える。
翌朝高速バスで会津へ戻り、若松駅で昼は90分に1本しか来ない路線バスを待って村に帰るのだった。
何の希望もない暮らしだったが不思議と仕事は途絶えず、その頃付き合いが始まった友人がトゥモローランドに出たとかいう噂を聞いたことがある。