※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2025年8月号からの転載です。
木漏れ日の差し込む深閑とした杉木立の道、水路が巡る城下の町、急な坂の続く宿場町……。物語のなかで主人公が辿っていく津々浦々は砂原さん自身も歩いた道。
「その土地の匂いや風、音など、五感で捉えたものが執筆の際、風景描写の厚みとなって表れてくると思います。ストーリーにさりげなく挟む、そうした描写から、よりリアルに作品世界を感じていただけたら」
「神山藩」シリーズをはじめ、砂原浩太朗作品の真骨頂のひとつである端正な文章からは、その風景の前に立つ若者、三好孫七郎の息遣いまで聞こえてくる。豊臣秀次の遺児である彼は「大坂の陣」前夜、大坂方の密使として全国に散らばる牢人たちを味方にする役目を受け、旅をしていく。
「青春ロードノベル的なものを書きたいという思いが起点でした。それも何か高貴な血を引く青年が諸国を放浪していくものを。そこで考えついたのが、“豊臣秀次の落胤”という設定でした」
太閤・豊臣秀吉の甥に当たり、関白にのぼりつめたものの、謀反を疑われ、自刃に追い込まれた秀次。さらに彼の妻妾子女までもが、京・三条河原で斬殺された。秀次の前名を名乗る孫七郎は、その事件の翌年に生まれたため、存在は世に知られることがなかった。諸国をまわる芸人一座のひとりであった母は、幼い孫七郎を、秀次に連座し自刃した家老・木村常陸介の子である木村重成に託した──。惨い史実のなかに、ひと筋の光を見せてくれるような人物を、丹念にリアリティを積みあげることで、誕生させた。