歌手、映画美術、俳優、タレントなどマルチに活躍する泉谷しげる氏が、かつて漫画家を目指していたことをご存じだろうか。構想40年のすえ、ついに自身初となる漫画作品『ローリングサンダー』(生きのびるブックス)を発表した泉谷しげる氏に、作品に込めた想いを伺った。
泉谷しげるPROFILE
1948年青森県生まれ、東京都育ち。1971年にアルバム『泉谷しげる登場』でデビューし、1975年に吉田拓郎、井上陽水、小室等、泉谷しげるの4人でフォーライフレコードを設立。1980年に映画『狂い咲きサンダーロード』で美術と音楽を担当し、ブルーリボン美術デザイン賞を受賞。1982年、映画『爆裂都市』で美術監督を務め、役者としても出演。2025年2月、6年ぶりのニューアルバム『シン・セルフカヴァーズ怪物』を発表。
なんでも失敗が始まり。鉛筆で描かれた大ボリュームの物語
――構想40年、ついに発表された『ローリングサンダー』についてお伺いしていきたいと思います。全15章からなる262ページを描きおろされたわけですが、その多くを鉛筆で描かれています。
泉谷 単純に鉛筆を鼻の下に近づけたときの木の匂いが好きなんですよ。それをいつまでも嗅ぐのが子どもの頃からのクセみたいなもんで。グラデーションをつけやすいのも素晴らしいじゃないですか。まさか10Bまであるとは知りませんでしたけどね。最初は4Bで描いてたんですけど、「ちょっと待って、10B鉛筆がある!」なんて驚いて、描き直して。
――お伺いするまで10Bまであるとは知りませんでした。JIS規格だと6Bまでなんですね。
泉谷 ところが、10Bまであったんですよ。まあ、鉛筆で描いたのは、反逆精神があったのかもしれない。というのも、昔の漫画誌は鉛筆で描いた作品は受け付けてくれなかったんです。今は印刷技術が高いから、鉛筆画の評価も高くなってるけど。
――鉛筆による濃淡が、印象的な効果を生み出していました。
泉谷 鉛筆で絵を描いていたら知らないうちにココ(手のひらの外側を指しながら)に鉛筆の粉がついて、原稿が汚れちゃったのもある。「しまった!」と思いつつ原稿を見直したら、「この汚れ、なかなかいいな。よし、擦っちゃえ!」って、なんでも失敗が始まりですよね。もうひとついえば、漫画家の先生方の素晴らしい原稿のようにトーンを貼るのが難しい。やってみたんだけど、下の原稿まで切っちゃったり。