窮屈な固定観念や思い込みに縛られ、生きづらさに喘ぐ。そのつらさは外側からは見えにくく、周囲の理解を得られないケースも多い。苦しいのに、理解されない。そのことが、当事者をさらに追い詰める。
片島麦子氏による長編小説『ギプス』(KADOKAWA)は、ふたりの女性が少女時代と、大人として生きる今を交互に行き来する。本書を読み、自分がこれまで生きてきた道のりを否応なく想起した。数年前に離婚を決意するまで、長らく私は世間が定める「ふつう」に縛られて生きてきた。本書に登場する、間宮朔子のように。
間宮朔子と葛原あさひは、中学の頃にひょんなことがきっかけで親しくなった。群れることを好まないふたりは、周囲からあえて距離を取り、自分たちだけの世界で多くの時を過ごした。しかし、あさひが朔子との約束を違えた夜を境に、ふたりの交流は絶たれる。それから十数年後、朔子が働くブックカフェへあさひの姉を名乗る人物・鳴海が押しかけてきた。腕に仰々しいギプスを巻いた鳴海は、「あさひがいなくなった」と告げ、行き先に心当たりはないかと、まくし立てる。朔子は「あさひとは何年も会っていない」と告げるが、鳴海はその後もたびたび朔子の身辺に現れるようになった。鳴海の存在により、朔子はかつてあさひと共に過ごした時間を思い出す。