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石橋静河&稲垣吾郎&内田有紀でドラマ化! 生殖医療ビジネスの倫理を問いかける圧巻の小説『燕は戻ってこない』

2024年4月17日

  • 燕は戻ってこない(集英社文庫)"
    『燕は戻ってこない(集英社文庫)』(桐野夏生/集英社)

     子どもがほしい、という欲望や焦りはどこから生まれるのだろう。さして興味がなかったはずの女性でも、産まない人生を歩むかもしれない、という選択肢が見えたとたんに焦り、本当にこれでいいのかと悩みはじめることは多い。そうでない人も少なからずいるけれど、産まない、産めなかったことへの罪悪感や、あたりまえに生み育てている人たちへの羨望があるからこそ、若いうちの卵子凍結が推奨され、不妊治療も進化している。でもその欲望を叶えるために、どれくらい頑張っていいものなのか。どこまでが「自然」でどこからが踏み込んではならない「神の領域」と言えるのか。小説『燕は戻ってこない(集英社文庫)』(桐野夏生/集英社)は、その欲望の根源に迫るとともに、生殖医療ビジネスの倫理を問いかける。


     主人公のリキは東京に暮らす非正規雇用の29歳女性。故郷を出るときにはそれなりにあった貯金はいつしか潰え、困窮した生活を送っている。エッグドナー、つまり卵子提供ビジネスに申し込んでみたものの、生まれ育ちや学歴から鑑みるに、リキのランクはかなり下。出発地点から安く値踏みされる、努力だけではどうにもならない現実にただでさえ打ちのめされているのに、卵子までもが低く見積もられる。不快で屈辱だけど、それでも得られる数十万円にすがらなければならないほど追い詰められるのが貧困だ。


     そんなリキに、クリニックは代理母出産を持ち掛ける。名の知れたバレエダンサーとその妻のあいだには子がなく、妻と似ているリキに白羽の矢が立ったのだ。報酬は、エッグドナー提供の比ではない。だが同僚は、嫌悪感を示す。見ず知らずの男の子を産むなんて、絶対にやってはいけないことで、子宮が穢されると。だがその同僚は、風俗で働き体を売っている。そもそもエッグドナーの仕事を持ち掛けけてきたのは同僚だ。


     一方、ダンサーの妻も、そこまでして、という思いをふりきれずにいる。これは、貧困女性の境遇につけこんだ搾取であり、ビジネスだなんてとてもいえるものではないのでは、とも。だが、自分の遺伝子を残したい、という夫の願いを叶えられない理由が自分にある以上、おおっぴらに文句も言えない。さらにダンサーの母には「自分の財産が無関係の(しかも全然好ましくない)嫁の親族に流れてほしくない」という思いもある。


     さまざまな思惑が渦巻くなか、リキは一千万という金額で契約をかわすのだけど、事が具体的に進みはじめたあとも、彼らの迷いは吹っ切れるどころか、ますます葛藤の渦に飲み込まれていく。そしてその葛藤は、読み手である私たちにも伝播し、考えずにはおれないのだ。子どもをもつって、産む・産まないって、いったいどういうことなのだろう、と。


     答えはない。だけど医療は今後も確実に進歩して、少子化対策のためにも「産む」ことは推奨されていく。それがビジネスとなる以上、貧しさにつけこんだ搾取もゼロにはならない。現実を正当化するためのもっともらしい御託が生まれるだけだろう。だからこそ、私たちはラストにリキが選んだ道の是非も考えなくてはいけない。文庫化に際して収録された、鈴木涼美さんの解説も含めて、必読の書である。


    文=立花もも

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