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「距離感を見誤る悪意なき他者は一番タチが悪い」子なし既婚女性に向けられる心ない言葉に…『私たちのままならない幸せ』

2024年4月16日

  • 私たちのままならない幸せ"
    『私たちのままならない幸せ』(ジェラシーくるみ/主婦の友社)

     アラサーになったころからだろうか。友人たちとのあいだでだんだんと恋バナが減り、既婚の友人とも子どもについての話をしにくくなった。子どもの話については、私の場合、あえて産まない選択をしているからである。ただ子育て中の友人に気を遣われたり私自身も気を遣ったりして子どもの話題はお互いに避けている。また、子どものいない人同士でも私のように産まない選択をしているか、もしくは子どもがほしくてもできないのかで分かれるし、未婚の友人も結婚したくないのか婚活中なのかわからない。「デリケートな話題」は恐らく30代以降、50歳くらいまでなかなかできなくなるのだろう。


    『私たちのままならない幸せ』(ジェラシーくるみ/主婦の友社)は、世の中のいたるところに存在している「普通」とカテゴライズされる人たちにインタビューをして、その人生をデリケートな部分まで深掘りして聞いていく。また後半は著者のエッセイであり、著者自身の恋愛観や結婚観などについて語られる。そして自分自身の「デリケートな部分」をも明かしていく。


     不思議な書籍だな、と感じた。通常、他者にインタビューをしている書籍には、取材対象者の成功体験であれ失敗であれ、なんらかのテーマがある。たとえば私は自著『母にはなれないかもしれない』(若林理央/旬報社)で産まない選択をテーマにして女性たちにインタビューをした。しかし本書は、取材対象者の年齢もその背景もさまざまである。共通しているのは、たとえば私が街を歩いていて、すれ違っても気づかなそうな女性たちの人生を丁寧に描いていることだ。「普通とは何か」も私がずっと考えているライフテーマなのだが、本書を読むにつれてその思いは深まっていった。人に出会った時、私たちは思い込む。「この人は、きっと世間一般からずれていない生き方をしているのだろうな」。本書は、そう思い込んだときこそ、彼女たちを、まずは知るべきなのではないかと心に訴えてくる。


     例を挙げたい。取材対象者のひとりである46歳の桜さんは、子どもがいないことから、「子どもがいないから子どもに関する案件は難しい」や「どうして不妊治療してないの?」という言葉を投げかけられた。著者はこれをハラスメントだと明記して、このように言語化する。


    距離感を見誤る悪意なき他者は一番タチが悪い。


     おお、と思わず声をあげた。結婚や出産に関することを「~できないよね」や「~しないの?」と踏み込んでくる第三者の言葉を私は呪いの言葉と呼んでいるのだが、そういった表現もできるのかと驚いた。見誤らない適切な「距離感」とは、著者のように、あくまでもフラットに取材対象者へのヒアリングを重ねていくことでもある。彼女は結婚や離婚、出産を含めた質問を投げかけていく。そのうえで「この人はこうだ」「こうあって当然だ」という決めつけをしない。街を歩いているだけでは気づかれない女性たちの人生の糸を、ゆっくりとひも解いていくのだ。


     そのフラットさになじんだ後に描写される著者の人生観は、インタビューページの後にあるエッセイにもにじみ出ている。たとえばマッチングアプリで出会ったパートナーのいる友人が「(アプリで知り合ったなんて)言うわけないじゃん!」と話したときには、このような気づきを得る。


    そうか、「後ろめたい気持ち」を「後ろめたい」と思う必要はないのだ。


     こういった内容をひとつひとつ言語化していくことで「これでいいんだよ」と読者を励ましてくれるような印象のエッセイだ。


     読んだあと、「私の人生はこれでいいんだ」と肩の力が抜けるのではないだろうか。等身大の自分は今ここにいて、ほかのだれとも異なる人生を歩んでいる。そういった実感も得られるはずだ。


    文=若林理央

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