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職業、クリエイター。動画、音楽、イラストなど、あらゆる表現をセルフプロデュースし、SNSで約200万人のフォロワーを持つマツヤマイカ氏。彼女の最新曲であり、アニメ『2200年ねこの国ニッポン』の主題歌でもある「琥珀色のロンリネス」が11月12日(水)にリリースされた。


「音楽活動は、自分にとって“呪い”のようなものだった」そう語る彼女が、念願のタイアップを通じて手にした新たな確信とは。楽曲に込めた思いと、創作の裏側に迫るインタビュー。


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「変顔」から「セルフプロデュース」へ。SNS活動の原点


──そもそもマツヤさんがSNSで活動を始めたのは何がきっかけだったのでしょうか?


マツヤマイカ(以下、マツヤ):中学生か高校生のときに、友達に見せる身内ネタの動画を作ってSNSに上げたことが始まりです。変な動画を撮る延長で、変顔をしたらバズって。


──お友達に見せるためだったんですね。仲間内で面白い動画を作ることになったのはどうしてだったのでしょうか?


マツヤ:ちょうどVineが流行っていて。“6秒でオチまで作る”みたいなことをずっと考えていたんです。芸人さんみたいに、学校の帰り道も自転車を漕ぎながらネタを考えて、そのまま友達と私の家に来て、そこで撮る、みたいな。


──ではそこからご自身の表現としてSNSで活動を始めたのは何がきっかけだったのでしょうか?


マツヤ:私はもともとK-POPアーティストになりたくて、ダンスや歌を学ぶ学校にも通っていたので、変顔の動画を上げつつも、ちゃんとしたダンス動画も上げていたんです。そうするとやっぱりダンス動画って再生回数がかなり伸びるんですね。当時は、今みたいに韓国の事務所のオーディションが日本で行われるということもなかったし、オーディションもそんなに多くなくて。だったら、SNSで見つけてもらえたらラッキーだなと思ってダンス動画をたくさん投稿するようになりました。さらに絵を描いたり、何かを作ったりすることも好きだったので、いろいろな動画を投稿しているうちにコロナ禍になって。「もう自分でプロデュースしたほうがいいわ」と思って今のスタイルになりました。


──そのときから昭和レトロの世界観というのは決まっていた?


マツヤ:レトロなものや昭和コンテンツはそのときから好きだったし、その世界観のものを作るのが楽しかったので、やっていくうちにどんどん今のスタイルになっていきました。


──話が前後してしまうのですが、そもそもダンスや歌を始めたきっかけは何だったのでしょうか?


マツヤ:ダンスは幼馴染の子がやっていたから一緒にやりたくて始めました。歌は……ちゃんとボイトレを始めたのは19歳くらいで、それまでは趣味で投稿するくらいだったんですけど……。でも親がダンスや歌をやっていたとかではなくて、幼馴染がダンスも歌もアニメも好きな子で。その子と一緒に育っていったから、当たり前に自分も好きになっていたという感じです。


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