ダ・ヴィンチWeb

※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年2月号からの転載です。



《私小説》という表現形式を前にすると、どこか抜き差しならぬものと向き合う気持ちになる。フィクションの形をとりながらも、書き手が生身で迫ってくるような。機械の体を得て不老不死になった主人公が、約100年後の未来から《家族史》を綴る『ここはすべての夜明けまえ』で、大反響のなか、忽然と文学界に現れた間宮さんが、2作目に書くことを選んだのはこの形式だった。


「フィクションを重視した話も考えていたのですが、今、自分が書くべきものはそれではないと思ったとき、本作の原型となる物語が生まれてきました。『ここはすべての夜明けまえ』は“名前のないわたし”という人が、家族のことを振り返って書く形式でした。あれを書いたからこそ、今度は私自身が家族を振り返り、自分のなかにある、人生のなかでまだ消化しきれていなかったことを書くべきときが来たのかなと思いました」


ゲームシナリオの仕事に行き詰まり、逃げ場を求めるように応募した小説で作家デビューした織香。けれどその反動で鬱になり、苦しみのなか、思い出したのは子供の頃のこと。癌を発症し、治療に専念するため、家族と離れて暮らしていた父、娘の自信を打ち砕く言動を繰り返す母。両親は折り合いが悪く、大学進学後、家を出てから織香は父とも母とも没交渉に。父の最期もコロナ禍で故郷には帰らなかった。“父のことを書いてみたいです”。編集者に告げた、そのひと言から物語は動いていく。


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