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1980年に生まれ1999年に吉本興業の養成所NSCに入所しトップ芸人に昇りつめ、芸能とは異なる世界でも結果を出し続ける二人、又吉直樹と西野亮廣。近いようで遠く、遠いようで近い不思議な距離感で生きる二人が7年ぶりに交わったのは、この3月半ばのこと。又吉の新作小説『生きとるわ』と西野の新作映画『映画 えんとつ町のプペル 約束の時計台~』のプロモーションを兼ねた動画撮影が行われたのだ。会わなくても互いの活動に注目し合い振り返れば同じような傷を背負っていた二人が、楽しくも感傷的な時間を共有した数週間後。西野の新作映画を観てきたばかりという又吉が、「同期の西野くんのこと」を語ってくれた。後編は、西野と又吉の相違点と共通点、そして『映画 えんとつ町のプペル ~約束の時計台~』の感想とそこから広がる物語論など。


西野くんの、優秀だからこその苦悩にようやくみんなが共感してきた


――お二人の対談動画のタイトル(炎上する人しない人・2つの肩書を持つ2人の悩み)ではないですけど、一見、真逆に見えるお二人なのに共通点も多い印象もあるんです。


又吉:世の中の、「こういうことになってますよね」っていう雰囲気で決まっているものを疑うっていうところでしょうね。こっちのやり方のほうがいいんちゃうかなとか、これって無駄なんじゃないかなとか、もっとこうしたいとか。そういうふうに考えてしまう傾向があるっていうところはすごい共通してますよね。そして僕はそれに対する表現にブレがあるのかな、西野くんより、と思うんです。僕は暴論を言ってしまうときがあるんです。西野くんは常識とか世の中の流行というものを疑いつつも、アレンジとかカウンターみたいなものを常識の範疇に収まる形で共感度高くやれている印象があるんです。僕は結構間違える。


――でも炎上するのは西野さんで、炎上しにくいのは又吉さんっていうのは何とも皮肉ですね(笑)。


又吉:それについては、先日の対談の後に考えたんです。めっちゃ大きい視点で言ったら、西野くんが炎上してるのは単純に注目されてるからやと思うんですよね。注目されると、それだけいわゆるアンチというか、「私はそうは思わない」という層にも届いてしまうから。自分のことを好きなお客さんしかいない劇場の中では何を言ってもアンチの湧きようがないじゃないですか。でも対象の規模が大きくなるほど、アンチは増えていくわけですよ。西野くんと僕が大きく異なるのは、まずそこ。


もう一つは、西野くんは自分の考えに対して誠実というか、ちゃんと思っていることを言う。そして、世の中に浸透するまでの時間とか、どれぐらいの人に共感されるかとか、そういうことは後回しにして、まず言う。僕はあえてなんじゃないかなと思うんですけどね。「最初に言った」ということを重要視しているんだろうし、僕もそれに価値がそもそもあると思います。でも、最初に言うことによって賞賛もあるけど、そういう誹謗も同時に付きまとうっていう。でも非難や誹謗中傷以上のメリットみたいなものがあるとは思うんですよね。


――それを認識しつつ、でも又吉さんは口を閉ざすんですね。


又吉:何やろな……。僕は極論を言ったら、面白い作品を作りたいという欲求のほうが大きいんですよね。だからできるだけ作品以外では波風を立てたくないんだと思います。僕の選択がいいと思っているわけでもないんですが。対談で西野くんに言ったんですけど、西野くんと同じようなことを僕も思う。でもそれを言ったら嫌な気分になる人もおるやろな、じゃあ我慢しよう、そう思っていたら西野くんが言って叩かれてる(笑)。それで、「やっぱこういうふうになるんや」って思うことが結構ありますね。


――西野さんは日ごろの発言や行動など生きざま全てを作品と捉えていて、又吉さんは作品を又吉さんご自身より上位に置いている、そんなイメージですかね。


又吉:自分がこれからやろうとしているジャンルに対しての接し方、って言えるのかもしれませんね。正解のない話ですけど、僕は小説を書くときに、他の作家に対する尊敬の念がめっちゃ強いんです。だから、「僕が書いていいのか」ということをまず考えて、書くとなったら「全力を尽くさなあかん」と思うわけです。そのカルチャーというかジャンルが築き上げてきたものからうまみだけをもらうのはダメだと思っていて、僕が小説を書くならば、文芸の世界に税金のようなものを納めなあかんと思っているわけです。だから、芥川賞をいただいたときに、自分もどこかで一回は選考委員をやらなあかんと思いましたし、実際やりました。


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