ダ・ヴィンチWeb

※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年7月号からの転載です。



「じゃあ、なんで風林火山を旗印にしたんだ?」学生時代、孫子の『兵法書』を紐解いたとき、木下さんの信玄に対する疑問は深まったという。


「無理攻めはするなとか、孫子が説いていることに則らず、博打みたいな戦い方をしてるのに、なぜ信玄は『兵法書』の文言を旗印にしたんだろう? と。そして史実を見ると、今も静岡の人から嫌がられているほど、略奪の限りをつくしたのに、なぜ彼は英雄として崇められているんだろうかと」


これまで数多の戦国武将を書いてきたなかでも、信玄のブラックな印象は拭えなかったという。


「けれど、織田信忠の許嫁だった四女の松姫が描いたという信玄の若い頃の絵を見たとき、あれ? と思って。いかつい戦の神のように言われているけれど、中性的な男前に描かれていたんです。信玄は家族からはそう見えていたのかなと。そして父をそんな風に描いた松姫は乙女チックだなと(笑)。松姫が後世に残したものを調べていくと、彼女は〈300年後のスルーパス〉みたいなものを持つ存在なんです。その答え合わせをすることこそ、歴史小説の醍醐味。なので、彼女を中心に据えて武田家の物語を書きたいと思いました」


愛馬・灯影を駆り、家来たちとの競い馬に挑む松姫は冒頭から疾走していく。齢12の彼女が褒美として所望したのは、なんと孫子旗。それを嫁入り道具にしたいという松姫の破天荒さ、快活さ、愛らしさは、甲斐の原野を渡る風のように心地いい。


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